昨年12月15日のスピーチコンテストはゆかりさんが優勝した。原稿の内容、話し方、前向きに自分をアピールする姿勢、どれも申し分なかった。その中で決め手になったのは、ニャン先生の一言。ゆかりさんは三笠塾での成長が著しい人ですね、だった。
ゆかりさんは一昨年の夏三笠塾に入塾。そのころはおずおずと私の顔を見上げ、にっこり笑って後ずさりする。そんなに後ろに下がると落っこちるよ、と何度言ったことだろう。このシャイな性格からだろうかJLPT-N2の模擬試験でもあまり良い結果をだせないままだったのが、最後のふんばりで見事合格、後ずさりしても落ちなかった!? 彼女は見事に就職への大きな足掛かりをつかんだのだ。ニャン先生がいうように三笠塾で成長したしたゆかりさんだとは思う。参加者のキャリアは初参加と出場2~3回目が半々。初出場はやはりあがってしまい、言葉がでにくい生徒が多い中、二度三度となると慣れによって度胸もつき、日本語もすべらかで聞きやすくなる。公平に採点を行った結果は、どうしても慣れている生徒が上位に挙がってきてベテラン同士の接戦になる。
スピーチコンテストは、JLPTの勉強会としては特別な印象がある。なぜなら、JLPTの合格にはすべらかなおしゃべり、スピーキングは必要ないからだ。日本語が一見堪能に見える外国人でも読み書きが全然だめという人は多い。日本人は”あうん”の呼吸で、相手の気持ちを察しながら、言葉は少ないほどいいと思っている国民だし、そもそも外国人とは話しにくい。異質なものを異質であるゆえに楽しむ習慣も気持ちもあまりない。日本での生活が長くなるほど、外国人もその傾向が強くなる。一見してすべらかな日本語をあやつる外国人には、表面すべらかで実は内容のない言葉を羅列するだけという人が多い、それが私の感想だ。では、外国人は少ない言葉で満足するのだろうか? 最低限相手に通じて、あとは相手に察してもらうという日本式思考は、外国人には受け入れられにくいと私は思う。
そこでJLPT合格の一助としても外国人にはスピーチコンテストが有効であると思った。何より、彼らが退屈しない日本語学習法が欲しかったということもある。おしなべて日本人はスピーチコンテスト(昔は弁論大会といった)が不得意である。まず、自分の主張なるものを書かなければいけないし、それを身振り手振りをつけて自分らしく話さないといけない。しかも、出来不出来を問われて順位がつけられる。不得意なことばかりではないか。ところがこの日本人が不得意とすることが、外国人にとっては得意だということもあるのだ。
テーマを決めてくれないとできませーん、と言うのでテーマを決める。そこでテーマをだすと、よくわかりませーんと言う。何度も何度も説明する。やっとわかってくれたかと原稿の仕上がりを待っていると、一人二人がぱらぱらと原稿を持ってくる。あとの人は当日のお楽しみ、なのは彼らの得意技である。
ある生徒は「大丈夫です先生! 心配しないで、間に合うから」という。彼らに「こういう例があります」とアドバイスを与えても、そのまま素直に聞いてくれる生徒はまずいない。
ゆかりさんは、前日に書き上げたと称する原稿を暗記して、すらすらとよどみなく話した。自分というものをキャッチコピーで表現する。『自分は質素な人間だ』が、ゆかりさんのキャッチコピーだった。高い洋服は買わない。おしゃれもしない。化粧もしない。質素が自分の持ち味。あの後ずさりしかしなかった生徒がそれを声高に宣言したのだ。
さらにゆかりさんは、寸劇のシナリオも書いていた。いつか彼女が書いた”シンデレロ”をこのブログにアップしてみたい。”シンデレラ”は女性。”シンデレロ”は男性。性のとりかえっこの愉快な話である。こんなものも書けるゆかりさんは、スピーチコンテスト優勝もむべなるかなである。彼女の今後が大いに楽しみである。