啓翁桜という早咲きの桜が3月初めに出始めた。今年は少し遅め。そして桃の花も今年は少し遅め。ふたつを一緒に花瓶に活ける。桃と桜。そうこうしているうちに桃の花がどんどんほころびはじめ。まさに桃色満開になった。桃色というのは濃いピンク色のこと。西洋風にいうとフクシアピンク。だがピンク色とはだいぶイメージが違うように思う。日本語は色を表す言葉が豊富だ。そしてすべて微妙な色彩を持つ。例えば、紅色といえば”べに”。赤もしくは朱色を思う。だが、”薄紅色”というとピンク系。桜色と同じような色。朱色を薄くしていくと薄紅色になるわけではない。この色彩言葉感覚こそ、日本という国らしさ、そんな風に思う。
現代の私たちが話す書く日本語は実は、英語的でさえある。英語とよく合うように、そりが合うように、私たちは日本語を使うようになった。
生徒との話言葉の中で、”私の父は、、、、、”という場合。年齢層が若くなると”僕のお父さんは、、、、、”となる、ような感じ。あくまで私のイメージだが、”僕は”というと若い感じ。ちょっとくらい、お父さんのことを父と外に向かって言わなくても許される年齢という感じ。じゃあ女子はどうなるの?おじさんだけど”僕はねー”という人もいっぱいいますよ。途端に、私は困ってしまう。が、この微妙な使いまわしを心得ているのが、日本語話者、日本語を書く人なのかなと思う。それゆえ日本語が上手になっている私の生徒たちは、かえってこのあたりで躓く。私も一緒になって転んでしまう。
それでも日本人も日本語も、あちこち流されながら、英語やれ!他の言語もっと勉強しろ!と言われながらも、外国人に体系的に指導できるところまで進歩した。英語ほど教育体系が完備されてはいないが、昨今の日本語教育事情は格段の進歩を遂げていると思う。
そんな中で、ふと思う。マスクをした銀座三越のライオンのことを!このマスクライオンの進化のスピードは素晴らしい。