ベトナム料理そして陽子先生の料理感

勝君ことカオタンさんが3月13日に埼玉県の元加治という所にベトナム料理と食材の店をオープンした。もちろん三笠塾も総出で応援。その時、ベトナム食材をたくさん買い求めた。さっそく翌週はベトナム料理大会と相成った。

実は陽子先生は東南アジアの料理があまり得意ではない。いやそもそも食べるということに極端な偏向性がある。簡単に言えば偏食。年齢を重ねるにつれて少しずつ改善(?)されているが、小学生の時は食べ物のほとんどが嫌い。(子供なのでお菓子は好き。父はチョコレートやクッキー、ポテトチップスやせんべい。およそ嗜好品のお菓子というものを目の敵にしていて簡単には食べさせてくれなかった。)母は何も文句を言わない人だったので、(後でわかったことだが母も偏食だった。)陽子先生は給食はほとんど食べず、家でも夏は麦茶と氷。冬はミカン。お米もほとんど食べず、子供の頃から身長がどんどん伸びて兄弟3人も含めた親戚の中で圧倒的に大きいのは、どんな食べ物を食べているからなのか?とみんなが不思議がったが、あれだけ嫌いな食べ物だらけで何で身長がぐんぐん伸びたのかはわからない。多分、父方の遺伝子のせいだと思う。ただ、このころから誰かに食事を作ってあげる。最初はおままごとみたいな感じ。それはとてもとても好きだった。そんな陽子先生の特性を母はよく見ていて、陽子は、料理を作ってあげるのが好き。たくさん料理を習ってきて、家族みんなに美味しいもの食べさせてね。と言って、料理に関してのことに全然反対せず、何でもさせてくれた。ただし、習ってきたらすぐに家で作ってみんなに食べさせる。ということになった。おかげで私は自分でいうのも可笑しいが高校生の頃から料理上手である。どんな食材も料理する。(ただし食べない)。最後は、どうせなら調理師学校通って調理師になっちゃいなさいよ、という母のおだてにのって調理師学校に通い調理師免許を取った。調理師学校は面白かった。友人もたくさんできたし、何より、料理の哲学というか根本的なことを徹底的に教えてもらった。それでも私の偏食は治らずなくならず。相変わらず、東南アジアの料理は他の国の料理同様苦手である。

そんな中で、富江さんが骨折した。(三笠塾の食の担い手がいない。)右手の肘の骨折。”内臓も頭も足も身体全部、元気。でも右手が使えない。2カ月間。”と言われた時は正直参ったなあと思ったけれど、タム先生と太陽さんが大奮闘して、カオタンの店で買ってきたベトナム食材は立派な料理になった。

右手骨折の富江さんにも来てもらって、食べたベトナム料理。さてお味の方は??????

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