亡くなってそろそろ25年が経つ、私にとっての人生の師、治子先生。その先生がふと私の顔を見て、”陽子ちゃんはトルコ桔梗みたいね、”とおっしゃった。普通に美人ねと褒める時、人は”薔薇のように美しいとか””立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花、”とか、その音も含めて綺麗とか美しい花をいうものだが、治子先生の褒め言葉は独特だった。他にトルコ桔梗といってほめられた人はいなかったし、当時の私はトルコ桔梗がどんな花なのかも知らなかったので、うれしくもなかった。が、この何年かでトルコ桔梗が実に美しい花だということを知って、治子先生ありがとう!と思っている。今、仏壇に飾っているトルコ桔梗は昔ながらのトルコ桔梗だ。白い花びらに紫色の縁取りがある。最近のトルコ桔梗は単色でフリルの量も多く、花びらも大きくてひらひらしている。ドレスの裾のようだ。私は基本的にスカートで通している。スカートの風に揺れるふわふわ感が好きだから。トルコ桔梗は、そんな私の嗜好に良く似合っていると思う。
一方、竜胆(りんどう)には、ちょっとおかしな思い出がある。私が大切に育てた猫は友人から甘やかしすぎと非難されるくらい、華奢な繊細な子だった。ゴキブリを見ても悲鳴をあげる。もちろんネズミなんて見るのも嫌。そういうお嬢さん猫と、畑から直接持ってきましたという竜胆を部屋に飾って眺めていた。猫はじーっと竜胆を見つめている。どうした?なにかいるの?そう、いました。竜胆の花びらのふりして芋虫がべったりと茎に張り付いている。猫はその芋虫をただ見ている。猫のくせに触って見たり、噛みついたり一切しない。ただじっと見ていた。私もつられてじっと見る、30秒に1回くらいちょっと動く。猫がちょっと反応する。その様子が可愛かった。大切な猫、桃子も2010年に死んでしまった。東日本大震災の前年だったのでよく憶えている。桃子もまたトルコ桔梗の花みたいな子だったと、ふと思う。