外国映画のタイトルを日本語に訳す中で、時々ものすごい名訳に出会う。コピーライターが世の中受けするキャッチコピーを考え出した時みたいに。同時に日本語にはなっているのだけれど、結局何を言っているのかよくわからない迷訳、もある。迷訳かもしれないが、こういうなんだかわからないけど、言葉的にいいなと思う題名が好きだ。
ブラッドピットの奥さんだか恋人だかで一時期ハリウッドで有名になったジェニファーアニストンという女優さんがいる。”私の愛情の対象”という映画で彼女は主演を務めた。私は試写会で見た。映画の内容より、この日本語訳の題名に惹かれて。案の定、映画はほとんどの日本人に知られることなく、もしかすると試写会レベルで封切りもされなかったかもしれない内容だったが、題名の面白さは未だに私の心に残っている。そして、このところのベトナム人男女の結婚ラッシュにあたって、この映画のタイトルがやたらに頭の中をかけめぐるのだ。なぜ?
結婚した、あるいは結婚するベトナム人女子になぜ、この人と結婚するの?と聞くと、ほぼ100%、優しいから、と答える。でも、日本人女子が結婚相手求める、優しい人がいい。というのとは、だいぶニュアンスが違う。相対的な優しさを求める日本人に対して、ベトナム人女子が要求する優しさは絶対的だ。だからだろうか、彼女たちは案外迷わない。そして、そういう女子の要求に応えるために男子はとても大変。女子もはっきりしているし、男子も大変なおもいをして相手をゲットするので、これはもう結婚以外ありえない。男子も女子も捕まえた相手としっかり未来を築いていかなくちゃ。そう、この”優しさ”の中身は女子それぞれで違っていて、よくよく話をきいてみると、この女子はこういうことを求めているのだということがよくわかる。よくよく聞かなければわからないのは、彼女たちの日本語の語彙が少ないからで、言っていることはむしろ直球勝負。実にわかりやすいのだ。
ベトナム人もだんだん新世代に移行してきていて、上記のような結婚観はむしろ減ってきているように思うが、彼女たちの男性に優しさを求める心は、健気で可愛らしく、大らかで、といくらでも誉め言葉が浮かんでくる。そして、ふと思う。私の優しさの対象は何だったんだろう?と。