5月14日は母の日だった。毎年、なんからの形で、三笠塾の生徒たちがお祝いしてくれる。お母さんありがとうではなくて、母の日おめでとう!といって。今年も多夢先生とゆかり先生を中心に、陽子先生と富江さんに花束とケーキでお祝いしてくれた。いつも、つい、はらはらっと涙が流れてしまう。
昨年から、三笠塾では結婚が相次いでいて、当然その後にくるのが出産。いつのまにやら、おばあちゃん先生だ。孫たくさんのおばあちゃん先生は、このところ体調不良で、外出もままならない日が続いていた。けれど、かなり元気になった。7月以降は結婚式があるし、そろそろ仕事のこともあるので、ベトナムに行きたいとは思っている。なにしろおばあちゃん先生だから、先が長くない。今できることはかなりの無理をしてもやっておかなくては。
NHKのどうする家康を大変面白く見ている。信長、秀吉、家康。この3人を比較するストリーや評伝、歴史読み物は多々ある。どうする家康もそのひとつだが、さすがに現代的色付けがなされると、日本人のこれからの生き方の見本帳めいてくる。
信長も秀吉も先を見る目があり、世界を相手にしたいと真剣に思っていたという。一方、家康は現代の日本人の根底を作り上げた人。むしろ日本国内にちんまり収まって、みんな仲良く、平等に暮らせればよい、と考えていたらしい。そういう家康が作り上げた現代日本は、グローバル化に悩む。隣近所、日本人同士の平たい社会構造を望むがゆえ、コミュニケーションは下手だし、そもそも、コミュニケーションなんてとりたくない。
陽子先生はベトナム人たちの中でひとりという時間が結構多い。彼らははっきり自己主張する。また、陽子先生との意見の相違にもはっきりダメ出しをしてくる。だから私もはっきり言う。それが少しも違和感を持たずに済む。けれど、日本語は難しい。彼らに日本語を説明する時、あーなんで日本語ってこういう風になっちゃうの?と大好きな日本語をうらめしく思う。
彼らが言う。陽子先生、今度はいつベトナムに帰りますか?