ふたりのロアン その1

 私が特に好きな作家のひとりにケストナーがいる。高橋健二という固い書物ばかり翻訳していたドイツ文学者が少年少女向のケストナーの翻訳をしたというのも

面白い話であるが、この翻訳が素晴らしくよくできた日本語で、原作の良さを余つところなく伝えていた。そのケストナーの一番有名な少年少女文学が”ふたりのロッテ”だ。

 私がこの2年ほどの間にかかわったロアンが二人いる。ケストナーの話とは何の関係もない。彼女たちは姉妹(双子)どころか、親せきでさえない。が、”ふたりのロアン”という言葉に彼女たちはぴったりなのだ。ベトナム人は日本人が苦手な”音”で判断をする。さらに兄弟でも同じ名前をつけることが多々ある。そんなことから、三笠塾の中には日本人には区別のつかないタイさんが4人も5人もいるし、ロアンも同時期に二人重なってしまった。

ベトナム人に大変多い姓。NGUYEN(グエン)。ベトナム人の女性名を表すTHI(ティ)日本人の名前だと”子”。二人のロアンは二人とも。NGUYEN THI LOAN。完全に同姓同名だ。が、ベトナムでは兄弟でも同じ名前をつけることが、ままあるので、同姓同名、といってもみんな、だから?という顔をする。

1人目のロアンと二人目のロアン。先に私の前に現れたロアンは、関西の専門学校から東京の大学に進学した。本人は東京の日本語学校に来て、東京の専門学校に通い、東京の大学に行くつもりで日本にやってきたが、最初の上陸地は、四国の愛媛県。彼女は日本に来た最初からがっかりしていた。日本への橋渡しをしてくれたベトナムの機関に文句をいって、東京に行きたい、東京に行くはずだった、東京、東京とさわぎながら2年弱を四国ですごし、いざ、東京の専門学校へ、と思っていたら、進学先は名古屋の専門学校。東京への道は遠かった。一人目のロアンが東京にやってきたのは、日本にきてから4年後のことである。

やっと上京(文字通りの上京)したロアンだったが、VISAの更新がうまくいかず、あっさりと帰国させられてしまう。涙をぽろぽろこぼしながら、帰りたくない、やっと東京にきたのに、と嘆くロアンに、なんとか日本にもう一度くる方法をかんがえよう!とういうのが精いっぱいだった。が、なんとかなると思ってもいた。こういう話になると私はしつこい。あきらめない。だからなんとかしよう、とも思っていた。

ベトナムに帰国した彼女から連絡が入る。私はどうしたらいいですか?家族もベトナムでの生活を考えた方がいいと言います。結婚もしないと。といいつつ、交通事故にあったり、財布を盗まれたり、ベトナムでもいいことがないロアンの人生。私は言った。名前が悪い。名前を変えよう。

お金持ちになれる名前。よいことが次々おこるような名前。呼び名だけだけれど、三笠塾の中でだけの名前だけれど、ロアンの運勢がかわることを祈って、名前をかんがえた。そして、いま、一人目のロアンは、私のすぐそばにいる。コロナ禍で、ベトナムとの行き来がこんなに難しい状況になるなんて、という中で奇跡のようにロアンは日本にきた。

私は、ロアンが日本に来られたことで、風が変わったと思った。風を変えた名前。福富 瑠美(ふくとみ るみ)という。お金持ちになるように、お金がよってくるように、福はお金だけではない。人間関係も上手く回るように。ものすごく欲張った名前をつけた。”あなたにはお金持ちになる名前をつけた。三笠塾みんなであなたを瑠美さんと呼ぶ。日本に来るときは何も待たずに、身一つでおいで。”

再会の時、私は泣いて泣いて感激のあまりロアンを抱きしめる、と思っていた。ところが、ゲートからでてきたロアンを見て、私はびっくりして、感激もどこかに飛んでしまった。ロアンは自分の身体より大きな荷物を抱えてきたのだ。身一つでおいで、とあんなに言ったのに。軽自動車には乗らないくらいの荷物だった。

 

 

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