5月31日金曜日午前9時、ホテルのロビーで送り出し機関の人と会う。
ベトナム人が日本に滞在するのに必要なVISAは、短期の観光やビジネスを除けば、長期滞在に必要なVISAの種類はあまり多くない。特に就労の場合、エンジニアの正規雇用は認められるものの、それ以外は特別な能力を持った人か、あるいは家族VISAを取得する以外に方法はない。
その一方で、国内で就労が認められる制度として実習生制度といわれるものがある。日本の技術を日本で働きながら習得して、帰国したらそれを自国の産業に役立たせるという趣旨で認められるものだ。
それともう一つ、就学VISAがある。これは留学生制度を使って、資格外で1週間28時間という枠の中でならアルバイトができるというもの。就学VISAは、本来は働きたい人ではなく勉強したい人が取得するものなのだが、実際はアルバイト目的の偽学生がすごく多い。私はこの偽学生というのがどうしても納得できなかった。
学生が貧乏でアルバイトをすることは当然だ。学費がなければ奨学金を申請するとか、授業の邪魔にならない程度に仕事をする。学生のアルバイトを否定はしないが、アルバイト目的の留学生というのは私には理解できなかった。しかし、現状はベトナムに限らずそういう偽学生が多い。ベトナムの親や家族も納得ずくで、若者たちを率先して送り出しているらしかった。私がハノイに来るきっかけであり、また一つの目的は、“偽”でない留学生、いわば“真”の留学生を直接日本に呼びたいと思ったからだ。加えて、留学希望者やその家族にも説明の場を設け、「日本での現状はこんな感じですよ」と、生の実情も知ってほしかった。
送り出し機関(送出機関)とは「※技能実習法」に定義された名称で、実習生と正規雇用(エンジニア)を日本に送り出す役割をしている。ベトナムから日本に来るためには、正規雇用であれ実習生であれ、この送り出し機関を通す必要があるのだ。「日本で働きたいのなら、勉強したいのなら、日本に来ればいい」と、気楽にいうほど彼らが海を渡るのは簡単ではない。また、「日本人はお金持ちだから、若い人でも気楽に海外旅行できる」という若者もいて、そういう日本がうらやましいという。それに、彼らが日本にあこがれ、日本への期待が高まる歴史的背景もある。それは東遊(ドンズー)と呼ばれる言葉にある。ドンズーを簡単に説明するとこうだ。※技能実習法:外国人の技能実習の適正な実施及び技能実習生の保護に関する法律
20世紀初頭、ベトナムにはフランスの植民地から「民族独立」の悲願を果たすべく、「東遊(ドンズー)運動」……東方(日本)に学べ……という運動が起こった。このとき来日したベトナム独立運動の指導者・潘佩珠(ファン・ボイ・チャウ)と、彼を支えた神奈川県小田原在住の開業医、浅羽佐喜太郎(1867年~1910年)との出会いは、過去ログ「記念碑見学」に示したとおりだ。結果は、「日仏協定」を結んだ日本国政府が、日本にやってきた約200名のベトナムの若者たちを強制的に国外追放して終わったとされる。しかし、日本に学べという精神は、一部のベトナム人に受け継がれているようだ。ドンズーをかかげて再びベトナム同胞に日本との提携を説く人もいて、ベトナム戦争以降の日越の支援関係などもあって、こうしたことが背景にあることも否めない。(参考:「ベトナム子供基金ホームページ」 https://v-c-f.org/about_vcf/ )
さて、送り出し機関の人とは昼食をとる約束をしていた。ホテルのロビーで待ち合わせをして彼らの会社を訪問する予定だったが、日本人の団体がたくさんきていて、対応しきれないとのこと。そこでホテルのラウンジに移動して話をすることにした。送り出し機関の営業職は男女のペアで行動する。日本語が達者で日本人のお相手がうまくできるというと、大体女性の方が上手だ。上司が女性で、男性の部下を顎で使う。けれど嫌味な感じは全くない。今回のペアは男性の方が先輩で後輩の女性を指導しているような感じなので、男性上司が威張っている。彼とはかれこれ2年の付き合いになる。私はお客さんではない。『お客さんを連れてきてくれる人、もしくはお客さんを連れてきてくれる可能性がすごく高い人』ということになる。また、日本側が持っている情報を彼らに伝授できる貴重な存在でもある。彼らとの話はあちこち飛びながら、最も重要なこと、日本人のお客さんのことに話が弾む。
日本人は送り出し機関のことをほとんど知らないだろう。知らないままお客さんとしてハノイにいきなり呼ばれる。小企業の社長や人事担当社員にしてみれば、びっくりするような世界が目の前に広がる。送り出し機関は日本人のお客さんのおもてなしに大変な労力を注ぐ。日本人側は接待を受けて、一生懸命日本語を勉強している素直で若いベトナム人の集団を見て、ここから優秀な人材が日本のわが社にやってくると期待する。接待の効果は抜群だ。その接待の最先端にいるのが、目の前でにこにこと笑いながら私と談笑する営業職なのだ。
3年間の実習期間、爪に火をともすようにしてお金を貯め、期間満了でためたお金を持って故郷に錦を飾る。実習生は3年間がまんして働いてよかったと心から思う。ほとんどの実習生はそうだと思う。実習生制度が孕む大きな矛盾はさておき、帰国した実習生のその後は、くる前は送り出し機関について何も知らないのと同じくらい、日本人側はその後を知らない。そもそも実習制度の趣旨は、日本で身に付けた技能能力を自国の経済発展のために生かすことなのだが、鳶や型枠、牡蠣の殻むきやイチゴ摘みを、どうやったら自国の経済発展につなげられるのか、ベトナム人自身だってわからないことだ。
そういう実習生が自国に帰って、故郷に錦を飾った後、はて、自国の経済発展のためにできることは、実習期間に身に付けたはずの技能ではなく日本語能力しかない。送り出し機関は実習生終了者の良い就職先になっている。営業職はもちろん、日本語センターの教師、自分で送り出し機関を運営というツワモノもいる。私はそういう彼らに、日本のどこにいたの? いつからいつまで? 職種は? と話しかける。彼らは嬉しそうに話に乗ってくる。日本中のあらゆる場所が語られる。ここで私と話をしているのは実習生の中でも成功者なのだ。実習期間中のつらい大変だったことなんて全部忘れて、「今はこんなにいいよ。日本人は親切。私がいたところはベトナムの故郷そっくりの良い町だった」と語る。
制度というのは簡単には変えられない。長い時間がたつと制度疲労も起こすし、もともと矛盾を抱えている場合もある。しかし、それが変えられない以上、文句なんて言ってないで、“しなやかに”、“したたかに”彼らは生きている。