ハノイにて(その1)

お皿に盛られたベトナムのフルーツ

ベトナム人たちの日本での進学や就職はそもそも日本国内でのことなので、日本にいればすべて問題は解決すると考えがちである。しかし現実は違う。日本へ来るベトナム人の情報は、なぜかハノイやホーチミンシティ、さらにはダナンなどから発信されている。彼らと彼女たちが背負っている事情を探ろうと思えば、情報の発信現場である現地へ赴くしかないのだ。
そんなわけで、年に2~3回、どうしてもベトナムに行きたいと思う瞬間がある。理由は様々だが、その時に行っておかないと、後で残念な結果になることが多いのだ。行けば、やっぱり行ってよかったと思う。なぜならば、ハノイがホーチミンシティがダナンが、日本に職を求めるベトナム人たちの“現場”そのものだからだ。今回もそんな思いを抱えてハノイへ赴いた。観光旅行ですらないのだから、周囲からすればなんで行くのかよくわからないなどと言われることだろう……周囲の理解を得るのはとても難しいと思いながら。

ハノイの路地裏でバイクにまたがるハノイの女性

2019年5月29日18時20分成田発……時差が2時間あるので、ハノイ到着は22時40分。行きは大体6時間のフライトだ。三笠塾の生徒たちは「先生、ハノイは暑いです、40℃あります」という。ハノイのチャンさんも「40℃です、暑いです」という。その上「本当は50℃かもしれません」などと脅かす。暑さに不安はないが、50℃といったら尋常ではない。熱帯スタイルと決めて、薄い洋服やサンダルを用意した。

ところが、ハノイは涼しかった。雨が降って、気温は24℃~26℃くらい。晴れ間は見えないが過ごしやすい。成田空港もハノイのノイバイ空港も空いていて、拍子抜けするくらいだった。迎えにきてくれたチャンさんとはすぐに会えた。ベトナムでは時間どおりに会えることは珍しい。今回の投宿はホアンキエム湖の近く、旧市街など観光名所に近い所のホテルを選んだ。前回まではオペラ座周辺だったので、こちらの方が明日からの移動に便利かと思う。あまり大きくはないがエレベーターのスピードが速く、部屋は機能的で掃除もよく行き届いている。ただし、もう少し明るいともっといいのだけれど、ホテルの常で仕方ないのだろうか。

ハノイの空はどんよりと曇っていた

一晩中雨が降って、ハノイらしいなあと思った。三笠塾のレジェンド的存在となった塾生ロンさんが、「ハノイは雨の町、女心のような町ですよ」なんて言っていた。また、雨だけではない。ハノイは水の町なのだ。ベトナム語で“Ha”は河のこと。ノイは“中洲”。ハノイは紅河(ホン河)の中洲に発達した町で、市内にはいくつもの湖沼がある。ホテルの近くにあるホアンキエム湖もそういう湖沼のひとつで、市民の憩いの場所。湖の周囲は木立が茂る遊歩道で、ぐるっと一巡りしている。雨のハノイの夜は本当に水の中にいるようだ。

5月30日 今回の訪越の目的は3つ。三笠塾講師タムさんの実家ハイズーンを訪ねること。ハノイの送り出し機関、学校を訪問して現地情報を収集すること。三笠塾の説明会をハノイで開催すること。
その一つ目、タムさんの故郷ハイズーンに行く。ハイズーンはハノイから2時間ほどの地にあり、あまり特徴のない所という印象だ。なぜだか三笠塾の生徒はハイズーン出身者が多い。ハイズーン州は州都もハイズーンという。タムさんの故郷はハイズーン州の田舎。ベトナムの田舎を訪れようと思えば、ベトナム人に同行してもらう必要がある。そうしないと、まず目的地に行き着くことはできないだろう。

三笠塾講師タムさんの故郷ハイズーンの風景

チャンさんはとても良い案内人であり通訳だった。何日も前からタムさんの両親と連絡をとって、タムさんのお父さんがバイクで迎えに来てくれて、わかりにくい路地を先導してくれた。タムさんのお父さんはタムさんそっくりだった。本当によく似ている。家に着いて、家族に紹介されたが、タムさんの姉さんもまたタムさんそっくりだった。涙がでてきた。なんでここにタムさんがいるの? そんな感じなのだ。お父さん、お姉さん、タムさんは、ひとつの卵からでてきた三つ子みたいだった。

タムさんのお父さん、お母さん、お姉さん、妹、お姉さんの夫、お姉さんの娘、息子(赤ちゃん)伯父さん、犬。タムさんがこの一家で大切に育てられ、考えに考えて日本に来る決心をしたのだろうな……、ふとそんなことを考えた。タムさんは一家の希望の星だ。まだ学校を卒業したばかりで日本では社会人一年生。これからばりばり稼いで、親孝行して、結婚して、と私の胸の中で彼女への思いが膨らむ。

タムさん一家(左から4人目が筆者)

心づくしの御昼ごはんを一緒に囲んで、にぎやかにしゃべるのはお母さん。タムはね、タムはね、とベトナム語でまくしたてる。「日本ではどうですか?」なんて聞かない。なにしろしゃべる。通訳のチャンさんもだまってしまった。タムさんが成功したら両親お姉さんと日本にきてくださいねといったら、とてもうれしそうに微笑んだ。そしてまた、タムはね、タムはね、と話しだす。

お皿に盛られたベトナムのフルーツ
(ライチ、パイナップル、ブーイと呼ばれるザボンの一種、スターアップルなど)

北部といっても暖かいベトナムでは、この時期果物が豊富だ。このあたりはライチの産地らしい。1キロ日本円で20円くらいとのこと。楊貴妃は美貌を保つためにベトナムから大量のライチを運ばせた、という話を聞いたことがある。小粒だがおいしい。たくさん写真を撮った。そして、タムさんがなぜ日本に来ることになったか聞いてみた。同席していたおじさんが、がぜん元気に話し出した。
「いいだしっぺは私だよ。わたしには子供が2人いる。ドイツとオーストリアに行ってる。いっぱい稼いでる。タムにもそうしろと言った。日本は近いし、かかるお金が少なくて済む。そうしてタムは日本に行った。成功しているのだから、私の言ったことは正しかったと思うよ」
確かに三笠塾の講師をしているタムさんは成功者だ。N1取得、簿記3級取得、日本人と同等に就職活動して、そして見事に自分の力で職場を決めた。

私はいつもタムさんにこう言う。
「あなたは本当によくがんばった。私のいうこともよくきいてくれた。あなたと同じ環境を持てる人は少ない。でも、あまり自慢しないようにね」
というのも、これから来る人や来日希望者にあまり大きな期待をさせない方がいいと思うからだ。
タムさんのお母さんは、そんな私の言葉なんてどこ吹く風、娘の成功がうれしくて仕方ないようだ。そして陽子先生の来訪は、この暖かい一家にさらなる夢を与えたようだ。

私は、タムさんの未来に、三笠塾の塾生の今後に、ますます大きな責任を感じている。

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