三笠塾発足当時からのベテラン講師であり、三笠塾のマドンナ”ニャン先生”から、優秀賞をいただきました。という報告がありました。国連が主催するSDGsAwardの一環で”世界の幸せを形にする”を実践する方法として三笠塾を発表の対象に選んだそうです。その結果の優秀賞。とてもうれしいお話です。
三笠塾は塾の花を紫陽花に決めたように、みんなが集まってその形や価値が決まるという集団です。ひとりひとりの力は小さくてもみんな集まれば、ちょっと大きな力になる。見た目も大きくてきれいに見える。
一方で、個人個人の個性もどうしてどうして、なかなかのものです。一つの小さな花でも美しいけれど、みんな集まって大きな花になったとき、その力は無限大になります。いつかその無限大の力を使って三笠塾そのものが世界に羽ばたけるというのが理想ですが、それは見果てぬ夢というもの。実際には、小さな花のひとつひとつは案外短い期間しか咲いてなくて、三笠塾の生徒の出入りの激しさったら半端じゃありません。
三笠塾も4年目を迎えますが、この3年間で、今まですっと陽子先生と苦楽を共にしてくれたのは、実はニャン先生とクオン先生の二人だけのような気がします。二人を武蔵野大学のできたばかりの日本語学科に入学させて、日本人でもなかなかできない日本語教育のエキスパートを育てる。彼らは後輩にベトナム語で日本語を教える。当時の陽子先生の夢の実現でした。武蔵野大学日本語学科で学ぶベトナム人留学生の何人かを相手に陽子先生はいつも怒っていて、いつも厳しい先生だったと自分でも思います。勉強しないといっては怒る。後輩の指導ができてないといっては怒る。遅刻したと言っては怒る。勝手に休んだといっては怒る。のんびりした南国育ちの彼ら、ちっともお金にならないこんなことで怒られてばかりの理不尽さ。講師で残ったのは2人だけだったのです。講師も二人ですが、生徒はもっとひどい。半年いればいい方。突然来なくなるなんていうのは、当たり前でした。理由は簡単。メリットがないように見えるからです。しかも、三笠塾を離れていくのは悪いことではないのです。離れていくことで見えてくるものもあるし、三笠塾でないところで自分なりの方法で意志を通すことができたのであれば、それは三笠塾あってのことだからです。それでも人が去っていくというのはさびしいものです。やっぱり別れはいやですよ。
ニャン先生、優秀賞おめでとう。またみんなでお祝いしましょうね。