日本語教師という仕事を最初に知ったのは1990年代の初めころだ。友人が当時は国文学といった、日本文学専攻の私に、せっかくだから、外国人に日本語教える資格とっておいたら?と勧めてくれた。まだ、国家資格じゃないけど、いずれそうなるし、本が好き、読書が好き、教えるのが好き、なあなたにぴったりだと思うよ。その上、私は日本語の正確さに妙にこだわりがあった。
良い日本語、正しい日本語、きれいな日本語。それをうまく使いこなして、同時に少々崩した日本語も操れる。それは私の理想であるとともに、自負でもあった。なんてったって日本語のプロフェッショナルなのだから。それを資格とって、仕事にするというのも悪くない。
けれど、当時の日本で、私のような考えをする人は(少なくとも私の周囲には)、あまりいなかった。時代は英語至上主義であり、大学入試の主軸は英語だった。今でも不思議に思う。日本語で授業する日本の学校で、一番重要な日本語は能力の基準にならないのだろうか?
受験の中心にあるのは英語。英語の先生いわく、文法を正確に操り、英語の文章をきちんとした日本語にできれば、それは日本語が充分にできるということですよ。
あれから、何十年も月日が流れ、相変わらず、英語至上主義が続いている中で、10年前から本格的に日本語教育をベトナム人の若者相手に始めるようになった。何十年も前に疑問に思っていたことは、そのまま持ち越され、引きずったままだ。
その中で、私なりに確信したことが、ある。日本語を日本語で教えることの難しさ。おかしな話だが、日本語教育というのは、とても難しいのだ。理由は多々ある。一番最初におもいつくのが、教育体系ができていないこと。でも、このことは、近年大きく改善されている。日本語教育の研究が進み、テキストも格段に進歩した。
そうした、教育が難しい日本語を、私はベトナム語でやろうと決めた。ベトナム人の若者に日本語の達人になってもらい、彼らがベトナム語で日本語を教える。こうすることで、私の大きな悩みはひとつ解決した。もちろん、日本語の達人ベトナム人を育成するのは、本当に大変だ。
iPhoneにマスコットをつけている。今年はブルーのウサギのぬいぐるみ。このうさぎ、なんとサングラスを持っている。けれど、すぐどこかに落としてしまう。
“ウサコちゃん、あなた、グラサン、どこやったの?”
私はぬいぐるみに聞く。
これは、本当はすごくよくない日本語。でも、良い日本語、正しい日本語、きれいな日本語を大切にする、日本語教師の私でさえ、普段にはこんな言葉を使っている。
注釈 ①ウサコちゃん=ウサギのぬいぐるみを可愛らしく呼ぶときの呼称
②グラサン=サングラスの略称。日本語は外来語を短くすることが多いが、この場合は前後が逆転する。サングラ とは言わない。
③どこやったの=(サングラスは)どこにいってしまったの?+(あなたはサングラスを)どこにおとしたの?という二つの疑問文を足して割って省略した文章。
編集長 ひばりのコラム