陽子先生のベトナム日記

N1の授業の読解の文章に、身体という漢字があれば、生徒は当然のように“シンタイ”と読む。陽子先生はこの場合は“からだ”と読んでね、

と注意。誰もなぜ?と聞かないので、そのままにしてしまったが、漢字が持つ要素のひとつがここにはある。

“体”だけでも読めるのに、こうして同じような意味の漢字を重ねることで、重量感というか重みがつく。と同時にバランスがよくなる。

日本語はかくもくっきりと書き言葉としての発信力が強いかを示してくれる。そして、その分、日本語は話し言葉に重きをおかないから、コミュニケーション手段としての話すとかしゃべる、説明する、説得する、等々の場合、あまり発信力や存在感を示すことが上手ではない。

先日、ティンバンジャパンというタム先生の会社のセミナーに、大学生のミン君と共に参加した。東京駅八重洲口の高層ビルの最上階で行われたセミナーは基本的に英語で基調講演が行われた。とても立派なセミナーでこの開催を主導したタム先生のことを身内のことながら、本当に素晴らしいと今更のように思う。そして、ミン君を連れて行ったことも。

大学生の参加は彼一人だった。英語の講演を嬉々として、聞くミン君。私はノートをとるのに必死なのだが、彼はメモもとらない。坦々と聞いている。そして、登壇者のルオンさんの英語ははっきりとしていて聞きやすく、あー英語って話す言葉なんだとつくづく思った。

後日、ミン君は三笠塾で、このセミナーがいかに素晴らしいものか、ベトナム語でがんがん話した。あのおとなしい(と、思っていた)ミン君が、実に小気味よくぺらぺらとベトナム語で周囲に切々と説明する。こういう時は、日本語じゃないんだ。

“日本語では、今度、書いたものを見てもらいます。”

ベトナム語も英語に近い。ベトナム人ははっきりモノをいう。日本人ははっきり言うことを嫌う。その代わり、書き物で残す。書いて知らせる。

二つの言語の間にある大きな海峡を遠泳泳法で泳ぐ生徒たち。

今更のように、私の素敵な、立派な生徒をつい、ひいきの引き倒しにしてしまう陽子先生である。

2026年3月9日 石田 陽子

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