無料ということ

三笠塾は昨年9月から会費を徴収するようになりましたが、これも強制力のある話ではないので、基本的には無料です。みんな同じように無料で三笠塾で模擬試験を受け、食事をし、ツアーに参加する。ところが陽子先生はある人にはにこにこやさしいのに、ある人のことは怒ってばかりいる。総体で陽子先生は怒ってばかりいる。そうすると10人中6人は二度と来ない。楽しくないし、お金がもうからないから。先輩でがんばってN1を取得した人もいるけど、それはその先輩が良く勉強したから。陽子先生は関係ない。その辺りで生徒の意見は一致していると思います。じゃあ残る4人はなぜ来るのか?無料だから、というのが2人。他に方法がないからというのが2人。これで10人ですね。これは前回の三笠塾で模擬試験が第一、ということともつながるのですが、無料だからくる人とか目的がわからないから来る人というのは三笠塾にとってとてもありがたい人たちです。来てくれなければ話にならないし、陽子先生が怖くて嫌な人でも、ほかに行くとこなくて来るうちに、別の視界が開けてきます。そういう人が集まる場所がある!ということが実はとても大切なことだと思うのです。三笠塾はベトナム人に特化しています。そうするとベトナム人、ベトナムの何かが好きな日本人やほかの国の人も集まります。実は第一目的のJLPTは手段でしかないのです。そして、無料とかあなたのために私たちはあらゆるものを提供しますよ、だからあなたは必ず来てね!という日本の学校教育的方法では6割は来なくなってしまう。

私はけっこう真剣に生徒獲得のためには、お金をばらまかないとダメかな?と思っていた時期がありました。毎回小テストをして点数の良い子に1000円あげる、とか。無料ではなくて三笠塾で勉強するのが仕事。おかしな話に聞こえるかもしれませんが、それくらい無料ということが無意味化していました。そして、なぜそうなのかということの答えは見つかりませんでした。見つからないまま、三笠塾はある意味膨張し続け、10人入塾して6人は来ない。今いる塾生もJLPTに合格したり、就職したり、ステップアップをすれば三笠塾の存在など、全く忘れ去って新しい人生に踏み出して行きます。それはそれでいいのだけれど、”場”としての三笠塾が立ちいかなくなったら無料だから、とか行くとこないから、と言ってきてくれる人は完全に行き場を失ってしまう。これはお金の問題とほとんどの人が教えてくれて、いろいろなアイディアをだしてくれました。そして、お金の話、つまり三笠塾がお金を稼がないから悪いんだ、稼げば、それも稼ぐ方向に持っていければ大丈夫という流れがでてきました。三笠塾でお金が稼げれば、自立できます。自立と三笠塾に生徒が集まることはイコールでしょうか?講師の先生を有償ボランティアにできる。家賃が払える。それと生徒がちゃんと来て、ちゃんと勉強してと、ということはイコールでしょうか?

これは一見、日本語という言語とは何の関係もないようにみえますが、ちゃんと関係はあるのです。日本語という言語を習う、このことに私たちはお金を使うでしょうか?日本語塾に日本人はお金を払って通うでしょうか?日本語学校にお金を払うのは外国人です。

日本人は国民総体として”学ぶ”ことに熱心です。少なくとも、ある時代まではそうでした。そのためわざわざ国語を学校で習わなくてもみんなわかっていた。今もそうです、というかもしれません。でも”学ぶ”ことの本質が変わってしまっている。今の子供たちは日本語も学ばないし、学校でも学ばない。なぜなら無料だから。無料で提供されてしまうと、それに対して何かを出さなければいけない。それが困るのです。困ってしまう。だから学ぶことができない。

無理な言い方になっているのは承知していますが、三笠塾の無料ということも同じ話、と私には思えます。無料ということが怖くない人と本当にほかにいくところがない人は来る。そのほかは行きべき場所、そこで何らかの経済行為が起こる(お金が稼げる)場所に行く。身も蓋もない話ですが、このあたりが三笠塾の本音です。

私はあきらめない。無料ということも(少し会費を徴収するけど)ベトナム人と意見交換しながら解決策を探しています。そういう意味でのコミュニケーションは彼らは得意です。言い訳も100くらい言うけれど、いろいろな意見もたくさんだしてくれる頼もしい人たちです。

 

 

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