12月2日3日にベトナムの結婚式に出席した。新郎はクイ君(貴君)新婦は夢佳さん。新郎新婦双方とも三笠塾のOBOGで、優等生だった。結婚式そのものも計画段階から超優等生。今年の初めころには12月3日の結婚式を決めていて、先生ごめんね。JLPTの試験日だけど、出席して欲しいという依頼もきていた。8月の勝さん、9月の太陽さんよりはるかに早めに結婚式を決めていたふたり。当然、結婚式には力が入っている。準備万端、どこからでもかかってらっしゃい!
けれど、私たち日本からの来賓は、なーんか変?な状況におかれた。12月1日はハノイ観光しましょう。どうですか?もちろん、いいですよ。新郎新婦自らガイド役やってくれるなんて、ありがたいですよ。ハノイで仕事しようかなと思ったけど、せっかくだから観光行きますよ。ところが前日になって新郎も新婦も超忙しい。すいません。ガイド役探しますから、その人と行ってください。あらまあ、だったら仕事いれますよ。ということで、ハノイの仕事先訪問したり、日本から来ている日本人連れて、即席のガイド役をほかならぬ私がかってでることになりました。(ちょっと嘘交じり。太陽さんに通訳を手伝ってもらった。)
会社訪問→一緒に早めの昼食→シルク村見学→会社訪問→バッチャン焼きの村 バッチャン村見学。まだまだベトナムには手工芸品を村単位で扱う所が残っていて、(もちろんすごい勢いですたれていくのだけれど)ヴァンフックというシルクの村もバッチャン焼きも観光地としてとても面白い。あいにくの雨で、足元は悪いし、結構寒い。バッチャン村まで2時間半(普通なら50分位で着く)車内缶詰状態で、観光するのも大変だった。けれど、一緒に行った日本人も喜んでくれたみたいだし、まあ、ハノイ ベトナムちょっとは知ってる陽子先生。先輩面して案内しつつ、お買い物も少しだけ楽しみました。1ドル=150円。ベトナムドンはドルに連動するから、本当に買い物が楽しくない。けれど、ここでしか見られないものもやはりあるから、これは土産用に買います。そしてそういうちょっとした買い物はとても楽しいのだ。
バッチャン村からの帰りは拍子抜けするほど、とんとん拍子で、ハノイのホテルに帰り着いた。同行の日本人たちはハノイで別の夕食の約束をしているということで、私は本当に久しぶりにニャン先生と二人だけで食事を共にした。
おもえばニャン先生の結婚式は2019年12月、大晦日で29日、30日31日と3日間やりますから、先生、どこかで出席してねと言われた。でも年末の結婚式なんてそもそもベトナム行き自体が無理。他の日程にできないの?うーんダメなんです。ということでニャン先生の結婚式に出席できなかった経緯がある。こうして結婚式に出席する回数が増えてくると、そうだったんだ!と納得できることも多々あるが、一方で、結婚狂騒曲。やっぱり笑い!笑い!のはちゃめちゃさばかりが記憶の表面に浮かび上がってくるのだ。日程に関しては、日本人の仏滅だめよ!レベルではなく、この日はいい日というのが、特に新婦の年齢で決まっているらしく、同じ日程でベトナム中で結婚式が行われる。ニャン先生も12月31日でなくては駄目だったんだね。
日本でも昔はそうだった!と納得できることもあるけど、やはりベトナムだねえということも多々あって。何より女性の服装。花嫁よりお母さんおばさんの方が絶対派手!まっかっか。化粧もしっかり盛る、花嫁なんかに負けるもんか!日本では花嫁以上に派手にしないんだよ、お客さんも親族もと、タム先生に言ったら、えー!だって日本人。花嫁も全然派手じゃないじゃん。それより地味にしたら全然つまらない!(お国柄ですよね!)
新郎新婦は積極的に接客する。ホストホステスなのだ。場合によってはボーイさん役もウエイトレスもやっちゃう。前日に忙しくて一緒に観光できませんといったのも納得ですね。
昔の日本の結婚式と共通していること。それは地域の中で、かれら一族のお披露目の場であるということ。これからもその場所で生活していく両親や親族を、周囲の人や知人友人に、なるべくたくさん来てもらってお披露目して、新郎新婦はこの場所に今は住まないけど、私たち一族をよろしくお願いします、というお披露目なのだ。
そこに外国から加わる私たちは、本当に本当に異邦人。私の役割は心得ているつもりだ。日本人がくることで、周囲に、この家族はすごい!と自慢できる。そういうシーンに一役かうために私は日本からはるばる足を引きずって、この結婚狂騒曲に出席しにくるのだ。
とシニカルな意見なんて、若いカップルにはいらない。おめでとう。幸せだね。素敵だね。