最近の小説の題名が私にはとても面白く感じられる。ちょっと真似して題名をつけてみた。
コロナ禍は根本的に私たちの生活を変えてしまった。ある種の戦闘状態だったといえる2020年の4月から。それでもまじめでルールを破らず、お互いに遠慮と我慢をしあう日本社会は世界の中でも安定した状態で、大変な時を切り抜けてきた。それゆえ日本人は急激に変化する世界情勢についていけなくなった。変わらない、というのはありがたいことだが、残念ながら世界はそういう日本人の相互の我慢や遠慮ゆえに落ち着いている日本社会を羨望のまなざしで見こそすれ、自分たちもそれを見習うなんてことはないし、終わってみれば、日本人自身も世界から遅れてしまった、と思わせられるようになっているのかなあ?そんな感じかする。
三笠塾はベトナムとの交流の中で成立している組織なので、コロナ禍の一番最初2020年3月ニャン先生が日本に戻れなくなったり、隙間を抜けるようにして何人かの留学生が帰国したりという辺りから直接の影響を受けるようになった。だが実際はそれ以前から日本へのベトナム人留学生や実習生の質の変化があり、それまで通りの三笠塾を続けていくことは難しくなっていた。だからこそオンライン授業に2020年1月に大きく舵を切った。ニャン先生がハノイに帰国してくれていたのもやりやすかった。ベトナムではオンライン授業はごく当たり前に行われていたので。
オンライン授業=三笠塾の授業、で2年半が経過。オンライン授業そのものの今後にもいくつもの課題がでてきたが、そもそものオンライン授業への切り替えをコロナ禍に求めると、この先の対応を大きく間違えてしまうことに気が付いた。
それはオンライン授業だけではない。日本人そして日本在住のベトナム人たちの生活や考え方全体についてだ。
コロナ禍ゆえに入管が(仕方なく)発給してくれた在留カードに”特定活動”というものがある。もともと特定活動VISAというのは多岐にわたっていて、外務省の入管の在留カードの種類のところを見ると、へえと思う。今回の”特定活動”はコロナ禍による帰国困難者のため。だからコロナ禍がおさまって飛行機がある程度定期的に飛ぶようになり、ベトナム国内での移動制限がなくなれば特定活動VISAは発給されなくなる。
ところが特定活動VISAが発給されることに慣れたベトナム人たちは、この在留カードを本来の留学や就労の在留カードと同じように考えてしまい。ずっと日本にいられる免罪符のようにおもってしまう。単純に自分は大丈夫と思ってしまっている。それは、コロナ禍だから営業補償してくれる、給料補償してくれる、学費や家賃も立替払いや無償提供してくれる、ということになんとなく慣れてしまった日本人やベトナム人を作り出してしまったのと同じようなことだと思う。
元に戻れないどころか、実はもっともっと厳しい社会が明日から待っているんだよというとみんな厭になってしまうよね。このところベトナム人は、何かと言うとすぐ帰国するからいい!といって、本当に帰国してしまう。大体、2カ月ほどでまた日本に戻ってくるのだが。
コロナ禍は罪な奴!と思う。正常な神経がどんなものか、実は、コロナ禍なんかじゃなくて、これまでの人生の考え方が個々の人、に問われているんだよ、ということを全部まとめてコロナ禍のせいにしてしまえたのだから。だからこそコロナ禍以前に戻ろうじゃなくて、新しい世界観をさっさと構築していくしかないと思っている。
8月の最終週に思ったこと。といいつつ手のひらの上で呑気にハートなんて作っている場合じゃないのだが。