Wienのファンデンフック先生が亡くなった。先生はまじめな熱心な教師で、かなりいい加減な生徒だった私だが、先生とのお使いはとても長くて、先生はピアニストとして、ピアノの指導者としてゆるぎない地位を持っていらした。先生と出会ったのは1996年だったと思う。南青山にある梅窓院というお寺のコンサートだった。梅窓院は南青山という好立地ゆえ、それを活かした各種文化活動を熱心に行っていて、当時一番有名だったのは境内での屋台イタリアン。そしてファンデンフック先生を招いての本堂でのクラシックコンサート。友人からコンサートのお誘いを受けた時は、話が通じなくて困った。本堂でコンサートは無理だと思う。ピアノはベヒシュタイン(ドイツの名門楽器)。演奏者はこの楽器の演奏のためにオランダから招いているという。のでオランダ大使も臨席とのこと。とてもちぐはぐな話ではあったけれど、ベヒシュタインにはとても興味があったし、お寺のコンサート、うん、いいかもしれない。
よかったのですよ。このコンサート。素晴らしかった。あの日からファンデンフック先生は、私にとってアイドルスター以上の存在になった。その後、ベーゼンドルファーのレッスン室でレッスンを受ける機会があり、お寺さん組合のコンサートに呼ばれて話を聞いたり、アイドルスターは身近な存在になった。けれど、一方でとても厳しい指導者として美人の奥さんと一緒に私のピアノ仲間とお付き合いをすることになる。長い年月の中でショパンの名曲やヴェーバーの無窮動を超絶技巧で弾く先生の姿は少しも変わらなかった。
私がベトナム人は猫みたいなんですよ。と言うと、陽子さんは猫が好きだから、ベトナム人と気が合うんだね、と、そんな話もしていたのに、突然の寂しいお別れの時がきてしまいました。
私のピアノ人生に大きな灯りをともしてくださったアイドルスター、ファンデンフック先生。安らかにお眠みください。