7月3日。昨日。お騒がせ満載のJLPTは無事終了しました。5-6年前までは、試験終了と同時に、先生ごめんなさい、不合格です。失敗しました。なーんていうメールが飛んできたものだが、この2-3年とんとそういう報告はなくなった。じゃあ合格したかというとそうではない。試験終了と同時にそれまでのことぜーんぶ忘れてしまうのだ。陽子先生の顔もね。見事なものです!
7月3日JLPT終了後、三笠塾は久々に塾生に呼び掛けて三笠塾懇親会を開催した。主旨は、JLPTお疲れ様慰労会。7月お誕生日の誕生会。8日に帰国する太陽さんのお別れ会。
意外なことに意外な人たちが集まってくれて、初めまして!やお久しぶり!の挨拶が飛び交った。実習生終了のタオさんは四国から、子連れのフックさんは埼玉県から、会話授業でオンラインでしかお目にかかっていなかったみゆき先生はお嬢さんのちかちゃんと。さらに弥生町町会の岡村さんが三笠塾見学がてら16日17日の盆踊りご招待のお話をもってきてくれた。埼玉で起業した勝君は渋滞に巻き込まれながら2時間近く遅れて到着。三笠ビル4Fの新入生たちが富江さんのお手伝いをしてお料理を作ってくれたが、彼らは料理に手をつけることなくアルバイトに出かけていった。
JLPTの結果行かんで頭に血が上っていらいらしてくる陽子先生も、本日は終始にこにこ。たくさんでてきた料理にみんなで舌鼓を打った。N3受験のビンちゃんは、陽子先生のたっての頼みでいやいやながらだろうけど参加してくれた。ビンちゃんはあと1年でどうしても就労にもっていかなくてはならない。21歳。まだ若い彼に人生の先のことなど馬の耳に念仏だろうが、でも、なんとかしたい。してあげたい。そんな一心で無理やり参加してもらった。三笠塾で少しでも多くの味方を作っておいてほしいのだ。
太陽さんのお別れ会の時、それは陽子先生の中で確信に変わった。ここまで三笠塾はやってきた。過去には堂々たる歴史として先輩ベトナム人たちが就労という切符を手にしている。彼らは三笠塾でみらいという可能性を見つけたのだ。それは陽子先生一人の力ではとてもではないができなかった。だから、せっかくできている、この三笠塾という集団のパワーをみんなが生かして利用していってほしい。