ハノイにて(その6)

交流会で狭い会議室はほぼ満員!

ハノイの最終日はこの旅の大きな目的のひとつ、日本に来たい若者との交流会だった。高校を卒業するまで日本語どころか日本という国さえ知らない彼らが、3~6ヶ月の日本語研修でいきなり日本にやってくる。彼らは日本へ行くことにバラ色の夢を植え付けられ、日本語という厄介な言語なんて全然問題ないですよと誘われて。留学生の場合は日本に行けば日本語が上手になってお金も稼げる、就労者はベトナムに比べて破格の給与が誰にでも支払われる、実習生は給与保証を受けながら日本の高度な技術を学びなおかつ日本語も上達する、などと言われて。……こういう素敵な話があれば、私でも行きたくなりますよ。

10人中成功者が2~3人であっても、こういう話は現地の若者とその両親に素敵な夢を与えてくれることだろう。もちろん対象になる国は日本ばかりではない。台湾、韓国、ドイツ、etc. 台湾は以前からベトナム戦争後の難民や出稼ぎ労働者を受け入れていて、台湾の介護施設にはベトナム人がたくさん勤務しているし、家政婦(お手伝いさん、メイドさん)や家事代行、ベビーシッターも就労VISAで台湾に行く。三笠塾の生徒にも何人か第一希望は台湾だった、という子がいるし、ドイツは言語教育も含めて手厚い支援をしている。こうして、外国で成功者になろうという若者の夢は叶えられる。
日本もその夢の国になっている。日本人自身はあまり実感としてとらえられないだろうけれど、今や日本は夢を叶える国であり、ベトナム人たちは夢を叶えに日本にやってくるのだ。

交流会の様子

他の国と日本の違いはなんだろう? 台湾はお手伝いさんのような単純労働でのVISAを認めているが、単純労働のために外国に行くのはちょっと嫌という若者もいる。ドイツは手厚い支援をしてくれるけれど遠いし行くための経費が掛かりすぎる。そこで日本は、単純労働のVISAを認めていない、ということはベトナムでの大学卒業資格が生かせる絶好の機会だ。そうして職を得ればホワイトカラー、肉体労働向きでないベトナム人には理想的な環境が日本にはあるのだ。

ベトナム人と付き合うようになった当初から、私なりに感じていることがある。私だけでなく日本人は全体的にベトナム人と親和性がある。私は彼らにとても懐かしいような親近感をいつももっているし、アルバイト探しなどで企業面接に行くと、会社の担当者がベトナム人に対してとても近しい、親しい感情を持つ場面にたびたび出くわす。これはほかの国の人には感じられない。日本語という厄介な壁があるとはいえ、ベトナム人は日本人ととても仲良くやっていける。だから益々彼らの夢の国願望は高まるのだ。

アメリカが“夢の実現の国”だとしたら、日本は“夢が現実の国”。とてつもない大きな志をいだかなくても小金を稼いで蔵が建つ。日本で働くことは、大きな夢を持たなくても、彼らにそこそこの「夢よ現実に!」という願望を叶えてくれるのだ。

でも、私はずっとずっと不安を抱えている。日本語をまともに勉強してこない、あまり志の高くない、たくさんの若者たちが日本にやってくるのはいいが、ベトナムと日本双方にとってよかったね、という結果をどこまで残すことができるのか。最近、4~5年日本で生活したベトナム人が次々と帰国した。「疲れちゃったんです」みな一様にこう言って帰っていく。東京は忙しい。なんでも高い、部屋は狭い、食べ物には困らないが手軽な買い食い生活は、若い彼らの身体だけでなく心も痩せさせる。そんな彼らの日常はスマホのゲームアプリに取り憑かれ、ふるさとベトナムへ電話してベトナム語だけを話し、日本人との接触はゼロ。どうにも困っているときは友人が助けてくれるが、それは相互扶助というより同胞だからで、彼らの中での貸し借りが成立している閉ざされた世界だ。

今回の三笠塾交流会では、ベトナム側の理解を少しでも深めてもらえたらと期待した。20人ほどが集まってきて、個々の問題提起をしてくれたし、質問もたくさん出た。しかし、日本に来る前にせめてN3くらいは取得してほしいという私の願いは、彼らには何をいわれているのかわからない話のようだ。「日本語を勉強しに日本に行くんです」と言われると、返す言葉がない。
ある参加者は、参加理由を「日本人を近くで見てみたかったから」と言った。……私は日本のパンダですよ~!
「今、日本語を一生懸命勉強しています。だから3か月後は“大丈夫”です」という人もいた。私が彼らと話すとき最も用心する言葉だ。彼らの“大丈夫”は大丈夫じゃない。他に言葉を知らないのだ。また、なんと「日本の大学で大学院を修了した」という女性もいた。日本でのVISA取得に失敗しての帰国だという。

そういう彼らに何度も何度も語りかけた。勉強の方法、日本に行くための心得。日本という国、日本人について。でも彼らは行ってしまえばどうにかなると思っていて、行く方法も安くて確実であれば何でもいい。大きくため息をつき、このしなやかでしたたかな若者の国とどうやってつきあっていくか、新たな方法を考えながらの交流会だった。

送り出し機関の塀に張り出されていた「思いやり十ヶ条」
    (思いやり十ヶ条)
  1. 笑顔で元気に、自分から先に挨拶をします。
  2. 他人への思いやりを持ちます。自分の行動が、他人の迷惑にならないように気をつけます。
  3. 行動する前に、報告・連絡・相談をします。悪いことも正直に言い、間違いはすぐに認めます。
  4. よく聞いて、理解します。理解したらすぐに行動します。実行して納得し、人に教えることができたら修得になります。
  5. 相手を悪く言わず、自分の反省点だけを考えます。
  6. 他人を不愉快にする不平不満は言いません。仕事が出来る事、与えられた環境を大切にします。
  7. 楽しみながら日々の生活を送ります。困難や失敗も、自分を成長させる財産と考えます。
  8. 物を使う際には、まず確認します。使用後は必ず元に戻します。
  9. 時間は「命」と同じです。時間を大切に、いつでも一生懸命やります。
  10. お陰様という、感謝の心を持ちましょう。周囲に支えられて生きている事を忘れてはいけません。

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