ハノイにて(その4)

活気に溢れるハノイの町並み(2017年1月撮影)

日本では人手不足がいわれて久しい。人口減少社会を迎えた日本が、若手の労働力を確保しづらくなっていることも事実で、2020年大卒者の求人倍率は1.83倍と、最悪だった2000年当時の0.99倍の2倍近くに上がっている(資料:リクルート大卒求人倍率調査)。
ところが、日本の労働力人口は減ってはいない。減ってないどころか、2000年(6766万人)をピークに、それ以降減少していた労働力人口は、2012年(6565万人)から増加に転じ、平成18年には6830万人と過去最大を示している(資料:総務省統計局労働力調査基本集計)。

労働力人口が過去最大に増加しているにもかかわらず、若者の求人倍率は高く人手不足が解消しないのは、今の日本の事情を反映してのことだとは容易に推測される。
その要因の1つは少子高齢化であり、もう一つは3Kとか新3Kとかいわれるブルーカラーや、ITサービス業界の厳しい労働実態があると思われる。また、地方における人口減少も深刻な問題だ。一部の企業はブラック企業とも言われるが、こういう職場は定着率が低く、離職率が高いため、絶えず人手不足に追われている。若者を対象に、そこでは絶えず人材募集がおこなわれ、離職と求人を繰り返す悪循環……まるで負のスパイラルが起きているようだ。

そこに登場するのが外国人労働者である。ベトナム人たちははっきりしている。お金がほしい、結婚したい、女の子にもてたい、親孝行したい、などなど。よく言えば自己実現のためにお金が必要だという。お金を稼ぐために、賃金が高い外国へ出稼ぎに行く。お金が稼げれば、3Kでも4Kでも喜んで日本へやってくるのである。

そういう日本から、中小企業の経営者や人事担当者はハノイへ向かう。

5月31日の午後、訪問した送り出し機関は規模のあまり大きくない所だが、私は気に入っている。社長は10年ほど前に日本での実習生を終えて、その経験を生かして送り出し機関を運営している。実習生、エンジニア、留学生、なんでもござれでも人数があまり多くないのがいいなあと、前回ハノイに来たとき感じた。
午前中に会った送り出し機関が年間1000人から1500人を送り出すとすると、ここは200人から300人程度だ。1000人規模になると、さすがにハノイ市内では教育機関や宿舎を確保できず、当然のように車で1時間くらいかけて郊外に行かなくてはならない。場所はハノイですと言われて、すぐ現地に着くと思っていたら車に2時間も揺られて、鶏が鳴き、牛が草をはむ田園地帯の中にぽつんと立つ学校に連れていかれたこともある。実習生やエンジニアの予備軍である学生も完全な寄宿生活で、1度このシステムに組み込まれると、簡単には抜け出せないような感じだ。
これに反して人数が少ない小規模な所だと、ハノイ市内で校舎も宿舎も確保できる。そこへ通う学生は大学生と変わらない印象である。ただ、大きな機関でも小さな機関でも、実習生として訓練を受けている彼らの目的は変わらない。

大手送り出し機関の建物 入口正面に「労働は幸福をもたらします」、「勉強は将来を創造する」という標語がベトナム語と日本語で掲げてある。
構内の至る所に規則や標語などが掲げてあった。
この掲示板には、男性はワイシャツ、女性は『オフィスファッションの丁寧な服装』を着用し、名札を付けることなどがベトナム語と日本語で書かれている。

ハノイへ向かった中小企業の経営者や人事担当者は、ノイバイ空港で送り出し機関の営業担当に迎えられ、ホテルに送り届けられる。その時、送り出し機関訪問の細かな日程を打ち合わせして、営業担当がべったりくっついて学校訪問と接待をしてくれる。ベトナムは公共交通機関(市内の鉄道など)がないので、送り出し機関が手配してくれる車が唯一の足になる。
まず学校訪問。ベトナム人は早起きなので、学校も朝早くから授業をしている。さらにラジオ体操もする。お客さんご一行が到着すると事務職が応接室で丁寧にお茶や水をだしてくれて、教室をご覧くださいという。その時々で適当な教室に入ると、生徒の一人が
「起立、礼!」
という、それに合わせてすっと立ち上がった彼らは、
「いらっしゃいませ、お客様」
という。これは送り出し機関の大小関係なく、どこも同じ。
同行の社長さんたちが大感激する。なんて素直な良い子たちなんだろう!
そして、生徒の2、3人が挙手して、質問する。
「お客様、どこから来ましたか?」
「お客様、お客様の会社に社員は何人いますか?」

実はこれらの質問は、授業で教えられた質問を、おうむ返しにしているだけなのだ。お客様は一生懸命答えるけれど、彼らはにこにこ笑っているだけで、熊本も鳥取も山梨も新潟も区別がつかない。わかるのは東京と北海道くらいだ。東京は彼らにとってはあこがれの土地、北海道は雪がたくさん降る寒い所として認知できる。が、地図の上で東京がどこにあるか、北海道がどこにあるかを知っているわけではない。

次に、お客様が質問する。
「日本のどこが好きですか?」
この場合、日本人の質問の意図は、日本らしさをどの程度知っているかということなのだが、「どこ?」といわれたら、彼らの知識で思いつくのは“富士山”と“東京”くらい。
「富士山好きです。東京行きたいです」
くらいの答えしかでてこない。そして双方にこにこ笑いながら……。生徒にとってはこの人たちはとっても良いお客さんに違いないのだ。お金持ちの日本人、こういう人の会社で働けば大丈夫と思っているし、お客さんはこういう素直な良い子が私の会社に働きにきてくれれば絶対大丈夫と思う。双方、この”大丈夫”の本質に気が付くことはない。
これが送り出し機関の上手いところ。営業担当はこう言うだろう。
「今はたどたどしい日本語も、半年たって日本に行くときは、若いベトナム人は日本語がすごく上手になってます」
「だって私がそうだったんですから、私がその証拠ですよ。

私はお客さんではないし、送り出し機関に関しては慣れているので、もっとつっこんだ、でも彼らにわかりやすい質問をする。(ベトナムの)出身地はどこですか? お父さんは何歳? 兄弟は何人いますか? 結婚してる? 彼女彼氏はいますか? そうすると彼らの態度が変わってくる。ちょっとはにかんだ、私を試すような口調でいう。
「私はゲアンの出身です。行ったことありますか?」
そして、私が昨年秋に行きましたよというと、とてもうれしそうに、
「ゲアンはホーチンミン様が生まれた所です。ゲアンにはたくさん観光地があります。もう一度行ってください。その時は私の家に来てください」
と言葉を返した。

実習生もエンジニアも、ベトナム政府が外国に送り出したいと思っているいる人材は20歳代の若者だ。この年代は人数的にとても多く、それに対して彼らの就労先状況はよくない。結果、外国に働き口を求めるしかないのだ。

女子の実習風景 頭上には「意思があれば成功に成る」というスローガンが掲げてある。

どこにでも必ず成功者はいるし、失敗する人もいる。日本人は10人やって9人が成功者でも、残った1人の失敗をみんなが気にする。失敗なんて出しちゃいけない。みんな成功者にならないと、と。でもこういう考えは世界共通ではない。
ベトナム人はというと、10人中2~3人が成功者であればそれでいいのだ。これから日本に行きたいと思っている彼らにとって成功者だけが見るべきものである。そして10人中3人かもしれないけれど、送り出しで営業をしている実習生終了者はまちがいなく成功者なのだ。そして送り出し機関は、営業職として実習生終了者をたくさん雇っている。

午後から訪問した規模の小さい送り出し機関では、実習生予備軍から質問を受けた。
「私は漢字がなかなか覚えられません。漢字を覚えるよい方法はありませんか?」
私が推奨するのは、漢字を分解して部首に分けて意味を取る方法。まったくの初心者には無理だが、こういう質問ができるレベルなら可能だと思う。

一方で規模の大きい送り出し機関では、教室に入った途端、今までと違う異様な感じにちょっとひるんだ。生徒が老けているのだ。
「このクラス、平均年齢高くないですか?」
と担任に聞いたが知らん顔している。そうだと思って、彼らに質問した。
「この中で結婚している人?」
三分の二が手をあげた。そうなのだ。ここはおっさんクラスなのだ。年齢に反比例して日本語は下手。彼らは身体全体を使ってひらがなを書くという勉強をしていた。まるで幼稚園。でも、彼らは真剣なのだ。大人の彼らが日本という未知の国に行くためとはいえ、なんだか気の毒な気がした。

身体全体でひらがなを描く実習生予備軍

送り出し機関に大小はあっても、それぞれの良さがある。実習生というこの特別な制度をベトナムと日本の双方がうまく活用して、お互いにしっかりとコミュニケーションがとれるように実習生の日本語が上達することを願うとともに、双方ともにこの制度による御利益があることを期待したい。

今回の送り出し機関の訪問には、ベトナム人女性が二人同行した。彼女らは送り出し機関の内情をほとんど知らなかった。訪問先での一部始終をびっくりしたように見ていた。そして、後輩にアドバイスをと言ったら、ベトナム語でまくしたてていた。
帰りに、何をいったの? と聞くと、
「日本でちゃんと生活するには、こういうちょっとした機会も逃さず質問してちゃんと答えを聞きなさい、と言いました」
とのことだった。

ハノイから、夢を持ってベトナム人がたくさんやってくる。彼らの夢はとてもわかりやすい。でもその夢を叶えられるかどうかは、彼らのコミュニケーション能力にかかっている。それを考えると、彼らの日本語能力はあまりにお粗末だと感じた。しかし制度というのは、そういう彼らを否応なく飲み込んで行くだろう。それが実習生制度の現状のようにも思えた。

 

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